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三条小鍛冶宗近について

能「小鍛治」

三条小鍛冶宗近について

 

能「小鍛治」

 

ある夜、一条天皇(980~1011年)が不思議な夢を見られて、当時名工として知られた三条の小鍛冶宗近御剣を打つことを命ずる為に、橘道成を勅使として遣わされました。

宗近は宣旨を承りはしたものの、一人では御剣を打つことが出来ません。
相槌に優れた者が居なくて困った宗近は、神にすがるより仕方ないと思い、氏神である稲荷明神に祈願のために出かけます。

すると一人の童子が現れて、不思議にもその童子は既に勅命を知っており、「君の恵みによって御剣は、必ず成就するであろう」と安心させます。
そして、和漢の銘剣の威徳や故事を述べ、特に日本武尊の草薙剣の物語を詳しく語って聞かせ、「通力の身を変じて力を添えよう」と言って、稲荷山に消えていきます。

 

三条小鍛冶宗近について

 

宗近は屋敷に戻って、しめ縄を張った壇をしつらえ、童子の教えのままに剣を打つ支度を調えて、祝詞を唱えて待ち構えていると、稲荷明神からの使いの狐が現れて、相槌となって御剣を打つのを手伝ってくれたのでした。

やがて御剣は完成し、表に小鍛冶宗近、裏には小狐と銘を入れ、勅使に捧げると、狐は再び稲荷山に帰っていきます。

祇園祭の長刀鉾

籖とらずの名があるように、毎年祇園祭の山鉾巡行の先頭を受け持つ鉾で、てっぺんに大長刀をつけている。
その大長刀は三条小鍛冶宗近が、娘の病気平癒を祈願して八坂神社に奉納したものである。

鎌倉時代にある武人が愛用したが、何かと不思議なことが起こるので返納したと言われている。
大永二年(1522年)疫病がはやり、神託で長刀鉾町で飾ったところ疫病は退散したという。

三日月宗近

天下五剣と言われる名刀の一つ

宗近の作で、焼刃に三日月形の文様が多数浮き出ていることから、三日月宗近と呼ばれる様になった。
二重三重に重なる三日月の美しさは、名物中の名物といわれる。

豊臣秀吉の正室、北の政所が所有していたが、後に遺物として徳川家に渡り、現在は東京国立博物館に所蔵される。
国宝である。